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“LOG” 2004
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2004

12-14: 最近、店の近くを夜に散歩してみました。拡大写真を表示!
このあたりも静かな住宅街が並び、毎年X’mas近くになるときれいなデコレーションを飾るお宅が少なくありません。 今年はどんな感じだろう、と思い歩いたのですが、驚いたことに飾り付けをしているお宅はほとんどありませんでした。
すぐに頭に浮かんだのは、新潟の地震による被害。 確かに、被災者の方々は、X’masどころではなく、やっと仮設住宅に入れたか入れなかったか、という厳しい冬を迎えていらっしゃるのです。
もちろんこれは “そうなのかもしれない・・・”という想像です。 地震のほかにも、北朝鮮の問題、イラクの自衛隊派兵延長の問題、その他諸々、難しい問題が山積した状況の中で、もともとクリスチャンでもないのに、X’masに浮かれている場合じゃない・・・ということなのでしょうか。
私ももともと、X’masの時期だけに競うように派手なデコレーションをする事には、ちょっと違和感を持っていました。 バックグラウンドの無いことに、表面だけで乗せられる、というのが好きではありません。 子供の頃はX’masが大好きだったけど、大人になってから、商業主義のものには興味が無くなりました。 本当に中身のあることが具体化されること、本物、やはりこれが一番です。
でも、イルミネーションはきれいですね。 男のくせにと言われそうですが、きれいなものを見ると、「うわー、きれいだなー」と、思わず立ち止まってしまいます。 だから、表面だけのX’masには反対ですが、イルミネーションが少ないのはサミシイ・・・。
単純にイルミネーションが好きな方は、一年中飾られてはどうでしょう。 時々、雰囲気のあるレストランやなにかでも、一年中イルミネーションをさりげなく飾っているところがありますね、あれで良いのではないでしょうか。 ゴテゴテにならずにシンプルに、でもきれいな飾りつけ。 問題が山積しているような世の中だからこそ、きれいな事が好きな方は、さりげなく、きれいなデコレーションで、見る人に嬉しさを感じさせて下さい!

**** 右上の写真は、このあたりではちょっと有名な、毎年きれいなデコレーションを飾ってくれるお宅のデコレーション。 今年もきれいに飾られていました。 写真をクリックすると、3枚の写真が出ます! 

11-22: ドキュメンタリーが好きで、時々日本TVで深夜にやるNNNドキュメント ’04を見ます。
昨晩やっていたのが、「ひきこもったから今がある・・・」というタイトルのものでした。
内容は、大学生時代にある事がきっかけでひきこもってしまった青年が、「電波少年」の企画でカンボジアで道路修復に携わり、その経験の中で生身の人間に触れ、それにより何かが変わり、そしてその後の彼の行動と心境の変化などを淡々と追ったものでした。
20代の前半に一度ひきこもりを経験している私は、数年前から社会問題になっているひきこもりに関心があって、このテーマの番組もつい見てしまいます。 ひきこもりにはいくつか種類があり、これはちょっと・・・と思う種類のものも少なくないのですが、今回の青年、荒井伸元さんの場合、自分という人間が社会というものに関わる中で、社会に対する本当の自分の役割(目的?)というようなものを真剣に、そして真摯に、悩みながら探っていく過程での経験であることがよく伝わってきました。 真剣なだけに不器用ではあるけれど、自分とまっすぐ向きあいながら、着実に自己を生成してゆく姿に、共感と嬉しさのようなものを感じました。
現代社会は過去の様々な歴史の中で、人間の愚かさと素晴らしさを同じくらい豊富に経験してきた時代で、しかも物質的にも豊か。 この人間の段階としてはある意味とても高度な精神状態にあります。 でも、社会のごった煮の中で生きていると、普通の人達でも自分の奥底にあるピュアなものが社会に対して静かな拒絶反応を示してしまいます。 自分でも、その拒絶反応を示しているものの正体が分からなかったりします。 自分の奥底が求めている状態が何なのか答えが見つからず、こもってしまうほか方法がなくなるのでしょう。
それぞれのヒントが見つかるとイイですね。 それを見つけるには、行動しかないのでしょうね。 行動すると、何か必ず感じるものに出会う、それは人かもしれないし、情景かもしれないし、言葉かもしれないし、物であったりもします。
もしこれを読んでいる人で、あなたがひきこもってしまっていて、もしその状況を何とかしたいと思っているならば、お勧めは外国に行くことです。 言葉や習慣の違う外国では、自分や自分の環境をより客観的に見ることが出来ます。 自分を客観的に見ると、自分や自分の立場に与えられている恵やポテンシャルを知ることが出来ます。 自分は、自分が考えているよりもっと輝きを内在しているものなのだという事を知れば、狭い世間の中でこもる必要性が無くなります。
道は必ず開かれています。

11-06: 実は2000年の選挙の時からBushには良い印象がなく、就任直後に彼が行った中東へのアクションを見て、“ やはりそうか・・・”、更にクリントン時代に合意の方向であった「京都議定書」を蹴ったことを知り、“ これは・・・”。 そしてその年の秋に、あの強烈な事件があって、その後の対応・・・。
ですから今回は私も正直、“ anyone but Bush ”でした。
しかし、接戦ではあったものの、キャンペーン中からやはり支持は強く、その流れの結果が出たわけです。 結果に至るまでのリポートを見ても、特に今のアメリカがどれほど「保守」に偏っているかがわかりました。
世界の文化圏との接触が多い東西の海岸地域では、まだ新しい方向へシフトしようといった考えを持つ人が多いようですが、内陸であったり、人々が昔ながらのアメリカを生きている地域では、民衆にとってアメリカ以外の国など全く関係のないことであり、アメリカこそが「世界」なのです。 そういった地域では、やはり昔ながらのアメリカの価値観を強く見せるBushはヒーローです。
特にあの事件以降、アメリカ人における保守的な傾向は強まり、宗教感においてもトラディショナルな立場をとっている人が全体の4割に達しているということにも驚かされました。 しかし今回の結果に結びつく感情は、何もアメリカ人特有というものではないように思えます。 中西部の伝統的なキリスト教を信仰する人達のリポートを見ながら感じたことは、もし自分が、健全で規則正しい真面目な日々を送る従順な人間で、代々伝統的な形のキリスト教を信仰している家庭で何不自由なく育ち、アメリカのような歴史を経験してきた大きな国に生きていたとしたら、ああいった指導者を迷い無く求めるのだろう・・・という事でした。
picture by NYT
今回の選挙では、当初の希望であった “ anyone but Bush ” が実現されませんでしたが、そのことに落胆ではなく、現時点での人間の、等身大の何かを見せられたような気がしました。 そしてもう一つ、Bushではない誰かを望んだということは、Bushが代表している圧力のようなものに蓋をしたいと思っていたのかもしれないと感じました。 しかし、それを表舞台から引きずり落として蓋をしたとしても、問題は解決しません。 Bush政権の行動に問題があるとしたら、それを支持しているパラダイムが変わらなければ、同じことの繰り返しがあるだけなのでしょう。
何しろこれからの4年間も舞台は彼を選びました。 まずはその現実を受け入れ、ここで批判的な立場を改め、中立的に観察して、彼だからこそ出来るかもしれない外交政策に希望を託したいものです。
(とりあえず、経済的な影響は彼の続投である方が安定するようです。)

10-24: 毎日生きていると、普段は考えないようなことを考えてしまったりします。 特に、その時の自分が何か空回りしているように感じる時、「何かすっきりしない・・・自分の本当の姿とはどんなものなんだろう・・・」。
そして、そんな風に感じて、自分で思い出せる、子供の頃の自分のイメージ、感覚を振り返ったりしていました。 何か釈然としない気持ちで。
そんな時、ある場所でこんな読み物を見つけました。(質問者と回答者が対面しているように作られた内容です。)

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(質問者・・・) 夢の中で私は自分の家にいます。 突然私は、家の中に今まで見たことのない扉があることに気づきます。 扉を開けるとそこには大きな部屋が広がっています。 その部屋には古い家具が詰まっています。 それらの家具は、私が生まれ育った家に置いてあった、両親の家具にそっくりです。 そのとき、「これらの家具を処分したら、芸術家が入居できる」という思いがなぜか心をよぎります。 私はとても幸せな気分で目を覚まします。」

「(回答者・・・) 幸せな気分になったのも道理です。 あなたは、今まで気づかなかった未知の可能性に目覚めるよう奨励されたのですから。 夢に出てくる家はあなた自身を象徴します。 大きな部屋は、あなたの中に眠っている大きな可能性を表わします。 この部屋に通じる扉を見つけたということは、自分の可能性を探る用意が整ったことを物語っています。 でも、最初に厄介な作業をしなければなりません。 その部屋には、あなたの子供時代を連想させる家具が詰まっています。 子供時代、あなたは自分が誰で、どんな能力を持っているか、という考えを刷り込まれました。 家具を処分するという行為は、そんな古い思い込みを捨てることに通じます。 特に「私はクリエイティブ(創造的)な人間ではない」という思い込みが最も望ましくありません。 あなたは疑いなくクリエイティブな人なのです。 あなたの中に眠っている「創造する才能」を開拓し始めた途端、あなたの「心の部屋」に芸術家が入居するでしょう。 その芸術家はその部屋を、今よりもずっと楽しい場所に模様替えするお手伝いをしてくれるでしょう。
*********************************

この話を読んでいて、あることを思い出しました。
それは、“本当の自分” とは、決して「過去」にはいないということです。 スタートは常に「今」 であって、「どういう人生を生きる人になりたいか」 という意志の中に、その時の本当の自分が居るということ。
そもそも、“本当の自分” などいないのでしょう。 常に、「どうなりたいか」 という、「その時々の自分」 があるだけなのでしょう・・・。
ただ、上の読み物の中にも出てきますが、「・・・という考えを刷り込まれた」、「古い思い込みを捨てること」・・・。
これがなかなか難しいですね。 思い込みや刷り込まれたことは、かなりしぶとく染み込んでいたりしますから。
急いでも、きっとコケますから、少しづつ、「こう在りたい自分」 に近づくようにしたいですね。

10-20: 9月はWebページの制作業がとても忙しく、また久しぶりの書きこみになりました。

今日はまた台風(23号)の上陸で、18時10分現在、東京もだいぶ雨がひどくなってきました。
今年は台風が多いですが、去年の書き込みを見ると、去年もやはり多かったようですね。 そして去年も書いたことですが、何年か前に教育TVか何かで見たのですが、「地球温暖化」によって、南で起きていた自然現象が北上しているとのこと。 だから、台風の発生する緯度も、昔より北上していて、それで台風がまだ強力なウチに、日本に接近(上陸)し始めているようです。(余談ですが、以前は見られなかった熱帯魚なども、何年か前から日本の漁場に上がってきているようです。某漁師談) ウチは両親ほか親族が九州におりますので、毎週他人事ではありません。 幸い、今まで被害も無く、今回の23号も、途中で少し東よりに進路を変えたことで、風雨はそれほどではなかったとのことでした。
東京は前回の22号の時は勢力維持のまま直撃だということだったので店を夕方に閉めたのですが、結局大したことはなく、天災に関しては本当に恵まれた土地だと思います。 今回も衛星写真を見ると確実に上を通るようですが、大丈夫なのでしょう。
意外なことに、毎年必ずやって来るこの台風の発生メカニズムというのは “観測困難” なため、実ははっきりわかっていないようですが、“海面温度が高い” ことが発生の第一条件とのことなので、やはり地球がかなり暖まっているのでしょう。
それにしても、四国や紀伊半島などの地域の方々は大変です。 台風は毎年必ず来るものですから気をつけてお過ごし下さい。


08-15: 今日の東京は、朝からしっとりと、久しぶりの雨です。それも、ちょっと肌寒い。
今日8月15日は、お盆の最終日の前日で、終戦記念日。 「今日はみなさん、外に遊びに出かけたりせずに、家の中でしっとりと、色々なことを考えてみては・・・」とでも(“誰か”が)言っているような天気です。
「お盆」とは、正確には “盂蘭盆会” というそうで、それはもともと、サンスクリット語の “ウラバンナ” という語の音を日本語に音訳したものだということ。>> http://www.miyagawa.com/syuha/2101-2.html
「終戦記念日」は、1945年8月15日正午、当時の天皇陛下が国民に向けて、“日本が敗戦” したことをラジオ(玉音放送)で伝えた日を終戦記念日としています。
日本が降伏を決意した同年は、5月7日「ドイツ無条件降伏」、6月23日「沖縄全滅」、7月26日連合国の「ポツダム宣言発表」、7月28日日本国首相「“ポツダム宣言黙殺” 発表」、8月6米国による「広島原爆投下」、8月9日米国による「長崎原爆投下」と、この流れを書いているだけで涙が出てきます。
ポツダム宣言」時に、英断を下していれば、2回の原爆投下は無かったのですが、まさかそんな恐ろしいことが起きるなどとは考えつかなかったのでしょう。
それぞれには、それぞれの理想と正義があって、その中にいると、その中だけでの意志による決定しか出来なくなってしまうことが良く分かります。日本がアメリカに対して開戦した経緯を見ても、何も日本が世界征服を目論んだわけではなく、当時の日米の交渉の中で、日本国の立場としてはこの方法しか他に選択が無いといった状況があったようです。当時の日本の立場としては、米国(連合国)に対して開戦することは、“正しかった” わけです。 (そして戦争はいつでも、それぞれの中では正しい選択なのです。)
“殺したり殺される行為”自体は、確実に間違った行為でありながら、それを選択せざるを得ない状況を創り出す “もの(こと)” とは何なのでしょうか?
その “もの(こと)” の仕組みや正体は(きっと)それぞれの個体(自分)の中に刻まれた “何か” です。
夕焼け空の拡大を表示! それを探し出して、抱きしめてあげなくては・・・・。
Give peace a chance !

                    >>ある日の夕焼け空(この時、別の場所では虹が出ました)

08-02: 書こう書こうと思いつつ、7月も忙しくて結局1ヶ月以上書けませんでした。

実は今回の話は7月に起きたことです。
去る7月21日確か水曜日の夜9時過ぎ、店を閉めるために表に出て店頭のワゴンなどを店内に入れている時のこと。 ワゴンを入れ、そのワゴンの踏み台に使っているブロックを取ろうとすると、なんとそのブロックの裏にセミがくっついていました。 それも、ただ成虫のセミがくっついているのではなく、あの“抜け殻”になるカラから羽化して、まだ薄いグリーン色をした、成虫になったばかりのセミが、ウォーミングアップしている状態でくっついていたのです。
実を言いますと、これは初めてではなく近年毎年のことなのです。 同じ状態を見たのが2回目、抜け殻だけを発見したのが2回の、合計4回。それも、まったく同じ場所、同じブロックの裏で毎年起きることなのです。
不思議です。
セミの羽化・拡大写真を表示! 理屈ではうまく説明がつかないと言いますか、セミはそのさなぎ(?)の段階では確か土の中におります。 そして、成虫になる段階で、もぞもぞと地上に出て、木に登り、じっとして羽化を待ちます。 羽化したら、またじっとウォーミングアップをして、これも確か明け方頃に飛べる状態になり、めでたくセミとして活躍を始めます。
何故、「木」ではなく、ウチのワゴンの下のブロックの裏なのか?近くに木はあるのに。
しかも毎年同じ場所で。「しゃけ」か !?
ご近所の木の茂るお庭から出てきて、えっちらおっちらと炎天下の道路の上を歩いて来て、日が暮れる頃にそのブロックにたどり着き、ブロックの裏にしがみついて、そしてじーっと羽化を待っているまでの道のりを想像すると、愛しいと言うか、わざわざ来てくれて有難うという気持ちになります。
普通はセミの羽化なんて、NHKの理科の番組でしか見れない現象。しかもこんなに身近で羽化をしてくれて、なんだか “いのち” をいただいているような、また勇気づけられたような感動があります。
そしてやはり、不思議です・・・。

06-20: 突然ですが、本日、オリジナルで「天国の住人」Tシャツを発表しました。(このサイトでですが・・・)

実は2002年に、当面の目標を「天国の住人になること」に設定し、日々、それに向けて生きてきました。
それでこの春、Tシャツを作りたいと思い、デザインに悩んでおりました。
「天国」というのは、かなりアリキタリなため、デザイン化しようとすると、どうしても野暮ったくなってしまうものですから、相当悩みました。しかし、悩み過ぎても形にならない事に気付き、まずは第1弾。
まあ英語のスペルは古臭いし、和柄を着るタイプでもないし、パッと見ても何と書いてあるのか分からないラテン語系列にしよう、イタリア語とフランス語を比べると、フランス語の方が見た目が整っていたので、フランス語で「citoyen de ciel」と決定しました。>>
「天国の住人」などとはまた唐突ですが、私、いたって真面目です。(なかなか難しいんですが・・・)

05-03: 今日は最近よく論議されている“憲法”ができた日。
正確に言うと、「1947年5月3日、“日本国憲法”が発布された」ということです。
正直言って、私もその”日本国憲法”を全て読んだ事がありません。
ただ、以前某NHKのドキュメンタリー(だったと思う)で、当時のGHQらと共に憲法を一生懸命に作った日本人女性の話を見ました。 曖昧ではありますが、それまで、日本の憲法は米国政府によって同国の都合の良い様に作られたんだろう、くらいに思っていました。 ところが(そのドキュメンタリーを見る限り)、とても高い意識のもとに、思っていたより民主的に、短い期間ではあったらしいのですが、とても丁寧に慎重に、そして何より平和への願いを込めて作られたものだと知り、感動した記憶があります。
今論議されているのは、その憲法の改正が必要か否か。
最近の讀賣新聞(確か)の世論調査では、全体に対しては改正に賛成が約5割。 しかし、あの第9条に関しては6割の人が「改正すべきでない」と答えていました。
6割という数字は微妙に感じますが、それでも半数を10%越えた人々が、「日本は武力を行使すべきでない」とはっきりと考えていることを知り、まずは安心しました。(9条は短いです。こちらで見れます>>
“グローバルな時代において、日本も先進国である以上、ミリタリーを意識すべきだ”という風潮があるようですが、そうじゃないと思います。 ミリタリーの概念こそ20世紀までのもの。 武力を放棄して、抱き合うことこそ、先進の概念です。
もう亡くなった、ある著名な外国人が言っていた言葉を思い出します。

「日本人とはなんと素晴らしい国民だろう!争いがあった時、戦うことよりまず、立ち止まって、静かに見、相手の立場をも感じ取り、そして少しづつ話す。 この感性こそが、21世紀に起こる世界的な紛争を、友情をもって解決してくれるだろう。 私はそんな日本人を尊敬している。」

05-02: 高円寺のベーカリー
         * * * * * ● “昭和”のお店 ● * * * * *

 先日、とても久しぶりに高円寺に行ってきました。
南口にあるアーケードは、青梅街道まで延々と商店街が続いていて、さすがは名だたる庶民の町だということを再確認。 しかも最終地点まできちんと人が流れている。
 その中間地点くらいだったでしょうか、記憶の底にあった景色が、突然わたしの心に飛び込んできました。 遠い昔、おばあちゃんにオンブされて来たことがあるような場所が、目の前にありました。 思わずデジカメを取り出してシャッターをきりました。 パンを買って、ご主人に話を聞くと、昭和25年からやっているとのこと。 半世紀。 “レトロ”なんてカッコイイ言葉には置きかえたくない温もりがありました。 コンビニはもちろん便利だし清潔なのですが、こういう、人の心を感じられる店も、ずっと残って欲しいと思います。 鮮度が多少悪くても、何十円か高くても、こういう店を大事にしたいです。

04-25: カトラリー東京は今日もとても気持ちの良いお天気です。
天気はイイけど湿度が低いようでカラッとしていて、昔子供の頃、北海道に行った時の肌の感覚を思い出しました。
今日の仕事は、商店街から依頼されているマップチラシの作成がメインなのですが、こんな日は爽やかに仕事もはかどりそうです。


     窓側にあるカトラリーコーナー(個人的にも好きなカトラリーたち) >>

04-17: とても忙しい日が続き、ずっとひとり言を書けません。 忙しいことは良いことなので、もちろん全く不満などはありません。 諸々のお仕事を通して私という人間を使って下さっている方々に素直に感謝しています。 ありがとう御座います!
話は全く違うのですが、当サイトのリンクページでも紹介しているあの“FRESHNESS BURGER”のサイトが、なんと新しくなってしまいました・・・。 個人的に、前のサイトの方が、フレッシュネスの昔の雰囲気がよく出ていて好きだったのですが・・・。
まあ、時代に合わせるということは、企業にとっては必要なことでしょうから、仕方がないですが、でも、何でもかんでも洗練されてしうのは、とてもサミシイ気がします。 今の時代、洗練させないと、企業の鮮度を疑われたりするので洗練は必要なことだとは分かっていますが、整備させる部分と、あえて洗練させない部分と、どうにかうまいバランスは無いものでしょうか、、、。 その点海外は、いろいろと、日本人から見るとドン臭い感じが平気だったりします。 個人的には、それが大好きで、逆にカッコ良く感じたりします。
日本は本当に洗練度が高いです。 畳となんとかは・・・という気質なのでしょうか。 
そんな国に生まれたことを幸せに思う部分と、なにか、それがいろんな意味での空洞化を象徴しているように感じる部分と、微妙なところです。

02-03: 今日は「節分」です。
「節分」の日は、新しいことがスタートする日だと言いますから、何かを始めるきっかけとするのに丁度良いですね。
何かを始めるきっかけは、友人や知人が運んできてくれたりする事が多いものです。
そしてそのきっかけとなる話には、気付きにくい事も場合もあったりするものです。
“ 「大切なこと」は、話の本題にではなく、話がひと段落して、その後の「無駄話」の中に隠れているものだ ”
という事を、何年か前に聞いたことを思い出しました。
この事を、是非お役に立てて下さい!! 頑張りましょう。

01-01: 2004年が明けました。
おめでとう御座います!
昨年までにいろいろと思いをめぐらせてきた事を、小さなことから現実のものにしていきましょう。
願いは叶うものですし、そのことに勇気を持つためにも、小さなことから着実に。
make our new year !

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